水星旅行記

星空観察 星をみよう 姫路 星の観察記(by marukunさん)

水星


そして、奇跡の星が産声をあげはじめる45億年前から再び、あの始まり、とされる150億年に、今一度立ち返ってみましょう。
単純でいて複雑性のはじまりなのです。
宇宙は素粒子が混ざり合ったみそ汁のようなものだと、想像してみてください。
電子、光子、重力子、グルーオン、ニュートリノ、クオォークさまざまな素粒子が混ざり合ったエキスのような粒子で構成されています。
 そして、150億年前のビックバン直後の最初の数十マイクロ秒の間に宇宙はグールオンとクオォークからなるマグマとなります。
そして、約20マイクロ秒後には温度が一兆度(!)以下になりクォークの結合で、陽子と中性子からなる最初の核子が誕生されたというのです。
因みに、「1マイクロ秒」とは「100万分の1秒」(!)のことです。
そして、150億年の最初とされる約1秒後に宇宙は約100億度に温度が下がり(!)素粒子や原子や分子の結合を促し、この天体構造の形成をつかさどっていったとされるのです。
核力が核子を結合し、原子核をつくり、電磁力は原子間に動いてそれらを結び付け、重力は星や銀河などの巨視的な運動を支配し、そして弱い力、と呼ばれる力はニュートリノ粒子のレベルで働きかけるのだそうです。
宇宙物理学の進歩により私たちは、この起源とされる世界をシュミレーションすることができます。しかし、宇宙は絶えず変化し続けているのに、物理法則は「時」と「場所」を選ばず変化していません。
そして、「単純にして複雑性」なる法則の性質が不思議と、ほんのわずかの物理法則が異なっていただけで、この世界(?)は混沌から抜け出せなかったのです。
 その「起こり」から、約10億年後、みそ汁にたとえた原初の物質は、初期に生まれた星たちがその進化の活動を受け継ぎます。
宇宙空間において大部分は温度低下を引き継ぐのに、星たちは、自らの重みで収縮し、著しい温度の上昇があり、物質生成の坩堝となり、この核反応で星は大量のエネルギーが光という形で宇宙空間に放出され、星が輝きます。
そう、太陽「など」の形成です。
星の温度が1000万度に達すると水素の融合でヘリウムが作られるのですが、やがて水素は使い果たしてしまいます。すると、再び星は収縮して温度が一億度を超し(!)、水素の燃えカスが燃料となって、一連の核反応からこれまで形成されなかった元素が生まれます。
3個のヘリウムが結合して炭素に。
4個のヘリウムが結合して酸素に。
おわかりでしょう?
この二つの元素の誕生が私たちの誕生に有機的に結びついているのです。
酸素は言うまでもなく「生命」に不可欠な要素である「水」を生みます。
一方、炭素はその特異な原子構造ゆえに、長い原子鎖を持つ化合物を作りやすく、これが生命誕生に大きな役割を果たします。

起源と「される」ビッグバンから約10億年後、原初の「みそ汁状態」と例えた広大な広大な空間に進化の過程で星という「具」が組織化されていきました――。
 宇宙空間においてはどんどん温度低下が進むのに、星は著しい温度上昇により、宇宙空間で起こった初期の物質の結合が星の内部で繰り広げられはじめました。
その間、星は収縮をはじめ、温度の上昇にしたがって次々に元素を生み出していきました。
現在、自然界で確認されている約100個の元素はこうして星の内部から生み出されていったのです。宇宙の「進化」の第2段階です。
そうそう、ここで述べてる星とは、火の玉と想像してくださいね。
まだ、個体の星ではありません。
星で形成されたケイ素、酸素、鉄などの原子が星雲間のなかで冷えていきながら結合し、最初の固体物質であるケイ酸素という微粒子が生まれます。
そして、星雲間は重力の作用で疑集して崩壊しながら、新たな星を生みました。
星は他の星の坩堝により形成され、星と原子が交互に形成され、今後も数百億年は続くとされています。
そして約45億年前、天の川銀河系という渦巻き状の銀河の端に「私たち」に関わり深い、太陽が誕生します。
銀河系においては、約1000億個の星が確認されていますが、そのうち約10億個は太陽と似たような星という、ごくありふれた星です。
水素を燃やしてヘリウムに変えながら、ゆっくりとした核融合反応を行いつつ、安定して輝きつづけます。
そのほぼ同時期に惑星も生まれました。
もちろんこれらも灼熱の火の玉です。
質量が大きいほど温度も高く、冷えるのに時間を要します。月や水星などは数億年で熱をすべて放出しましたが、地球はまだ中心部は高温でマントルの対流現象を起こしているのはご存知の方も多いでしょう。
星の地殻変動も、後の「生命」の誕生に大きな役割を果たすことになります・・・。
星はやがて死に絶えるのは先に書いたとおりですが、星の崩壊により、あらゆる物質が宇宙空間に放出されます。それらが塵となり氷や個体の二酸化炭素がくっつき、こうした塵が集まって惑星が形成され、惑星が誕生すると、水や二酸化炭素が気化して、地表から噴出します。
そして、氷が主成分の彗星なども衝突し、水が形成されるのです。地球は太陽からほどよい距離にあり、また水分子をとどめておくのにほどよい重力であるのです。
こうして液状の水が地球に保たれました。
「私たち」の「生命」への進化の段階です。


ああ、、、、、夏休みw

ps。
帰宅後。。。
わんわんはパパに厳命されて、毎日星の観察絵日記書かされています。


ああ、、、、、夏休みTT



【旅行時期】2005/07/~2005/07/
【エリア】姫路
【テーマ】イベント・祭り・花火
【投稿者】marukun

加奈子の旅 バンコック編(by 浅山 (あさやん)さん)

水星
本編の中にわすかですが バンコック市内のことを描いています。


加奈子の旅 バンコック編           浅山一郎

八島加奈子34歳、顔立ちはふっくらとして顎骨は
丸みを帯び、眼光は女性にしては鋭く、色気は感じないが、
その特有の明るさが魅力の秘密である。
某化粧品メーカーの研究所の品質管理課に勤めている
レディである。
婚期を逸した感がある。けれど、純一はそんな
加奈子を見て、
とても流暢に話しのできる
近代的な女性として憧れていた。
何よりも加奈子は明るく誰にでも接していた。

春がきた。桜が咲きぽかぽかと陽気で温暖な空気が
周囲に漂い始めた頃である。
加奈子が突然バンコクに行くことになり、
会社に辞表を提出したのである。
純一は戸惑った。憧れの加奈子が突然バンコク
に行くと言い出した。
無論、会社は彼女のバンコク行きを知らない。
家事のためとだけ言ってある。
純一はまだ加奈子に愛を告白していなかった。
研究の日々でいつのまにか恋愛も遠のき、
最後の男盛り不惑の40歳を迎えていた。

九州の父親は某有名大学の教授をしている。
母は京都の生まれで、前身で言えば有名な
公家の出身で、某市郊外の見晴らしのいい閑静な
邸宅に住んでいる有数の資産家でもあった。
何度かの見合いも進められたが、加奈子のこと
を考えると、つい伸びていった。
いつかの夜、コンサート帰りのホテルのレストラン
で加奈子から両親のことを聞かれたことがあった。

純一はただ゛「大学の教授をしています。
まあ、お金にはあまり不自由していません。」
と軽く答えた。

加奈子はにっこり笑っただけで、何も言わなかった。
純一は告白しようと思った。けれど不安だった。
婚期を逃していると思われる加奈子だったけれど、
いつも表情は明るく、まるで婚姻など眼中にない、
純一を好いているかどうかさえ表情からも
言葉からも読み取れなかった。
結局、告白を思いとどまった。
名前の通り純情一途の純一であった。

加奈子はバンコクに旅立った。
その前の夜、純一に会って食事した。
ただ、それだけであった。
純一の気持ちはわかっていた。
けれど加奈子は踏み切れなかった。
加奈子は不倫に身を焦がしていた。
純一は束の間の癒しのような存在であった。
いま、加奈子は一足先に旅立った愛人、
遠藤実の跡を追っていた。
遠藤は加奈子の勤務する某化粧品メーカーの子会社、
K化粧品販売の社長であった。
すでに不倫関係になって3年が流れていた。
いつか遠藤は妻子と別れて加奈子と一緒になろうと言っていた。加奈子は全面的にそれを信用したわけではなかった。
けれど、遠藤の巧みな愛撫に溺れている時の
いい知れぬ快感に喜びを感じていた。
遠藤は優しかった。たまの休日には旅行にも連れて
行ってくれたし、生活の足しにと数十万円を
惜しげもなく渡してくれた。食事をしたり、
飲みに行ったりもした。
けれど、決して高級なエルメスやシャネルや
ルイビトゥンなどのブランド物は一切買わなかった。
ブランド物は特に他人の眼を引きやすい。
そこに加奈子の周到な用心深さがあった。

3年の間、加奈子はその金を使わず預金していた。
両親には給料の範囲内で時々小遣いを上げる程度で、
できるだけ質素な生活に勤めた。
不倫のことは誰にも気づかれていない。
預金も1000万近くになった。

加奈子は虎のように襲い掛かる強かさでなく、
雌豹のようにじっとチャンスを待つ強かさを持っていた。
しかし、まだ加奈子はそのことに気づいていなかった。
遠藤は今度バンコクに和食料理店を開業した。

加奈子を誘ったのである。加奈子にとっても毎日、
気を使いながら周囲の眼を気にして逢うことに
ちと疲れていた。
毎日、誰に気兼ねもなく遠藤の胸に抱かれていたかった。

逡巡することなくあっさりと決めた。
専門学校を卒業して2年ほどアメリカに留学
していた加奈子にとって海外での生活に不安はなかった。

バンコクでの新しい生活が始まった。新居は日本人
が居住しているバンコクでは比較的安全なブロムボン駅
近くのスクムビット通りを北に入った小さな
2DK式のマンションであった。
家賃は遠藤が払ってくれた。
バンコクの居住環境は安全第一と考えての
遠藤の配慮であった。
けれど 開店した和食料理店「青天」はプロムボン駅
から一つ目のアソーク駅シェラトングランデの
近くにある中国風建物の1階にあった。周囲は駅
付近の騒音と公害に隔離されたような小さな庭園
の林の奥まったところにあるが、この付近の道路
はやけに野良犬が徘徊し目立つ界隈である。
現地の人間はほとんどこない。いわばバンコク
滞在の日本人を専門とする客層であった。
遠藤の人脈の広さを感じた。

開店早々から店の駐車場には高級車がひっきりなし
に出入りした。
店舗面積も200平方メートルの広さで、担当の厨房、
それに現地採用のタイの少女達であった。
加奈子はフロアー全体のマネジメントとその少女達
20人の指導をまかされた。
ここで加奈子はひとつの誤算を生じたことにきづかなかった。

日本を離れる時、タイ語の勉強ということで
両親にも純一にもそれとなく説明していた。
タイ語ははじめてであった。
簡単なタイ語は日本を離れるまでの数ヶ月間で多少マスターしていた。

「 サワッディー カップ 」「 サーバイディー ル カップ」
「カウジャイ」「マイ チャイ カップ」。
何とか多少の言葉は理解できるし、英語も話せる。
けれどバンコクは英語圏ではなかった。

なんとか-1ヶ月の間に簡単な会話は出来るようになった。
店は昼過ぎに出勤で午後10時までの仕事で多忙であった。
遠藤との逢う瀬がみるみるうちに減って行くような
きがした。
毎日会えると思っていたが、仕事が多忙で1日を
終えるとぐったりする日もあった。

誤算は仕事の多忙さであった。
タイの少女達は計算が出来なかった。
みな貧しい地方から出てきた少女達で教育
を満足に受けていなかった。
加奈子は教育係りのように手取り足取りその子達に教えた。
サブマネジャーの中国系の名前を持つ少女
リーゥイが小さい愛くるしい体を眼一杯に使って加奈子によく仕えてくれた。
それでも加奈子は神経の休む暇はなかった。
遠藤はほとんど店にいなかった。

その間店に来る客達と知り合いになり、休日には
いろいろなところに出かけた。
タイ式マッサージにも出かけた。心地よい
感触が日ごろの疲れを癒した。

ニューハーフキャバレーショーのマンボやラチャダー
にも友達の里香と出かけた。
チャトゥチャック・ウィークエンド・マーケット
にも出かけた。
30万平方メートルもあるチャトゥチャック公園
の南側の敷地で週末に開かれるフリーマーケット
で日本人観光客もよく訪れる。
膨大の敷地の広さ、出店数のすごさ、まさに何でもそろう巨大マーケットである。
けれど加奈子は次第に疲れていく自分を感じていた。

遠藤と逢った夜、ベットで言った。

「いつになつたら、一緒になってくれるの。」

遠藤は単身赴任であったが時折日本へ帰って行った。
その時加奈子はふと寂しい思いに駆り立てられた夜があった。

「もう少しもう少し待って欲しい。」

といつも遠藤は言っていた。
けれど何故かこの夜は違った。
加奈子への魅力が薄れたのか、あるいはほかに
タイの愛人が出来たのか、
やや冷めた口調で

「なあ、加奈子、このままでは君も婚期を逸
してしまうし、私もこの店に資本をかけた以上
成功させなければならない。
幸いいまのところは軌道に乗って店も順調だし、
君が望めばこのまま仕事をしてもらってもいい。
けれどやはり妻子を捨てるわけには行かないし。」

加奈子は冷静であった。いずれくるであろう
この日の回答を予期していた。

加奈子は日本に帰る決意をした。
六星占術の羅針盤の示すように加奈子は財力を
なさねばならない。
加奈子は昭和45年10月3日うまれ、六星占術で
水星人であった。水星人は、非常に利己的で
クールな性格の持ち主だ。ある意味で、人生をつねに
醒めた目で見ているところがある。
意思が強く、つねに自分を見失わないで冷静に行動し、
一時の情熱に身を任せて、自らを破滅させてしまうよ
うなことはない。
 水星人に与えられているのは、そもそも
「孤独な世界」なのだ。このことは、
幸せとが不幸という次元の問題ではなく、
そういう運気のもとにうまれたのだ、ということなのだ。
 だがら、孤独な世界に生きてこそ、
成功する可能性もあると加奈子は思っている。
結婚がすべてを開放するとは考えてない。

豹のように強かにじっとチャンスを待ち、
豹のような牙があることにはじめてきづいた。

遠藤から手切れ金として500万円を貰った。
けれど、遠藤と切れたわけではない。

「またバンコクにきたら遊んでくださいね。」

とにっこり微笑んで言った。

日本に帰国して数日休みこれからのことを考えた。

「そろそろ私も形だけは整えなくちゃ。」

純一に逢うことにした。
そして結婚を申し込んだ。両親はとても喜んでくれた。

純一は意外そうな顔していた。
しかし、顔はほころんでいた。
私の過去の顔は誰も知らない。
純一ならば私の手のひらにある。
これからは純一の妻とし、敬虔に尽くしながら、
精一杯人生を楽しもう。

新居は神戸市西区の一戸建てを購入した。
無論、純一の両親の援助であった。
ある晴れた日、庭に立って純一を見送っている
加奈子の姿があつた。
「敬虔で質素な加奈子」の仮面の下の素顔は誰も知らない。


青く澄み切った神戸の空は加奈子のために
無限に広がって行くような気がした。


新しい旅たちの朝

加奈子は新鮮なオゾンを胸一杯吸った。


 参考
  • http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%90%8D


  • http://search.yahoo.co.jp/search?p=%A5%D0%A5%F3%A5%B3%A5%C3%A5%AF&fr=top&src=top&search.x=14&search.y=9
  •    
  • http://book.matrix.jp/book/06.html


  • 本小説もどきは一気に4時間で書き上げ推敲しておりません。
    あしからずご了承くださいませ。

    【旅行時期】2006/09/05~2006/09/16
    【エリア】バンコク
    【テーマ】ショッピング
    【投稿者】浅山 (あさやん)

    会社帰りにきれいな夕焼け!(by goemonさん)

    水星
    数日前から気なっていた、下弦の月&宵の明星!

    水星と金星と下弦の月の3ショットが奇麗で今日デジカメを持ち出勤しました。

    まだ、残照が残る時間だったのであまり奇麗に撮れませんでしたが、その分夕焼け&漆黒の闇のコントラストが奇麗で!

    国際線に乗って見る空の色にも似た私の好きな光景を見る事が出来ました!

    【旅行時期】2008/12/03~2008/12/03
    【エリア】茨城県
    【テーマ】夜景
    【投稿者】goemon

    アンマンからアンマンへ7カ国をゆく#20(レバノン?、トリポリ)(by ホットマン2世さん)

    水星
    「トリポリはデザートのメッカ」

    2005年9月7日

    タルトゥースの時計塔の前からレバノンのトリポリ行きの乗合タクシーが出ている。旧型のベンツで、なかなか車内はゆったりとしている。しかし、座席が全部埋まらないといけないので、お客が揃うまでちょっとの間、待たないといけない。シリア軍がレバノンから撤退してから、シリア人が気軽にレバノンに旅行できなくなったようなので、客足は今ひとつだ。しかし、何とか、ひとりの男性がやって来た。残るは2人。が、タクシーは出発。他の2人を途中でピックアップするらしい。

    後で乗ってきたのがフランス人。彼を一時、ホテルの近くを歩いていたのを見たことがある。彼の方は私のことを憶えていてくれた。それと、親子の3人連れ。後ろの席に男3人が乗って、前に窮屈そうにお母さんと高校生らしき娘、それと6歳くらいの男の子が坐った。1時間もかからないうちに国境に。そこで私たち外国人とシリア人たちはパスポートを提示する場所が違う。私たちはまた国境でビザを申請しないといけない。ある情報筋によると、このタルトゥースからレバノンに入国する場合、ビザ代が免除されると聞いた。しかし、移民官は私に2500LP($1=1500LP)を要求してきた。この移民官に交渉するのは無理らしいと判断したので、すぐさま外にいたレバノン人に両替してもらう。オフィシャルな銀行はこの国境にはないので、道にいる人に両替してもらうか、店で両替してもらうしかない(ただし、店の場合、公定レートよりも低い)。

    こうやっているうちにベンツに戻ると、前にいた親子3人が後ろの席に移っていた。私たちは時間が長引いたので、前にフランス人と一緒に狭い席に坐らないといけないは目に。トリポリまで1時間くらいだが、このちょっと思いがけない出来事に私たちは何も言えなかった。まあ、これも旅のひとつだと、親子3人も前できつい思いをしたので、私たちもあと1時間くらい我慢することにした(残念ながら、フランス人は男だった・・・)

    トリポリに着いたのはちょうど夕陽が町中に沈もうとしている7時ちょっと前だった。宿を歩き方に載っていたパレスホテルに決めた。歩き方には1泊10ドルと載っていたが、受付で聞くと、15ドルと言われた。歩き方には10ドルとしてあるのにとちょっと渋っていたら、息子のような人が「オーケー、君は特別だ」と言って、かなり広い部屋に連れて行ってくれた。これはかなり得したと後になって思った。

    歩き方には「マダムが言うには、お金を使える人もそうでない人も泊まれるよう、いろいろな料金の部屋を造ったそうだ」と書かれてある。翌朝、マダムが私に曰く、「歩き方を見せてくれ。イギリスやフランスのガイドブックには一律15ドルとしてあるのに、なぜ日本のガイドブックにはそう書いていない?」 そんな事、言われても、っていう感じになってしまった。ホテルの雰囲気は良かったのだけれど、マダムの一言が余計でした。

    その晩、私はミナ(港)へ。バスはないので、これまた旧式ベンツの乗合タクシーを使う。ミナから西の空を見ると、タルトゥースで見た三日月よりももう少し太った三日月がもう少し南の方の空にもう少し高く移動していた。タルトゥースで左にあった水星は月の右に移動していた。月が水星よりも早く天体を移動していることをこれは証明する。面白い。夜空がくっきりとしている中近東では天体の観測が非常にやりやすい。

    ミナから少し歩いて、近くにあったファラフェル屋に入る。シリアよりも倍以上の値段だ。その後、歩き方に載っていた、この地特有のデザートであるハルワート・エル・ジブンという、薄く伸ばしたもち状のチーズ生地にシロップとクリームをのせたものを食べる。それほどうまいとは言えないが、この地特有と言うので食べてみた。どうも、甘いものに目がない私には興味をそそられる。が、ヨルダンのアンマンで食べたキナーフェにはかなわない。でも、レバノンにもそれに似たようなデザートがあったので、それらも食べてみた。レバノンはデザート食べ歩きの旅になってしまったようだ。

    【旅行時期】2005/08/14~2005/09/16
    【エリア】その他の都市
    【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
    【投稿者】ホットマン2世

    水星の画像